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北の女スパイ全貌 生活苦から盗み、捜査恐れた優等生…思いがけぬ工作機関スカウト 본문
北の女スパイ全貌 生活苦から盗み、捜査恐れた優等生…思いがけぬ工作機関スカウト
CIA Bear 허관(許灌) 2011. 12. 3. 19:40
韓国で脱北者に成りすまし、スパイ活動をしていたとして国家保安法違反の罪で起訴された北朝鮮国家安全保衛部(秘密警察)所属の女工作員、元正花(ウオン・ジョンファ)被告(34)の活動実態の全貌が、韓国の検察当局が作成した起訴状から明らかになった。忠誠心、裏切り、性、脅し、拉致、愛情…美貌のウオン被告の口から語られたスパイ活動は“凄絶”の一言に尽きる。彼女の生い立ちから逮捕・起訴までを、シリーズで再現してみる。
スパイの巣「国家安全保衛部」
ウオン被告が所属していた「国家安全保衛部」は金正日総書記直属の対南(韓国)工作機関である。
各道、市、郡単位および大企業などの傘下部署のほか、中国内の北京、延吉、フンチュンなどに、対北朝鮮貿易会社を偽装して活動している。
社会主義体制の維持のため、反革命分子やスパイ、脱北者の捜索、韓国出身の対北貿易業者の抱き込みなどを行う。
平壌市テソン区域ミサン洞峰花芸術劇場の裏手に位置し、本部要員8000人に、市・道・指導部要員などを含めると総勢5万人規模になるという。
父も工作員 生後間もなく南潜入途中に殺害され
ウオン被告は1974年1月29日、北朝鮮咸鏡北道清津市生まれ。現在34歳。
生後間もなく、父は北朝鮮工作員として韓国に潜入する過程で殺害された。76年ごろ、母が継父(63)=国家保安法違反容疑で摘発=と再婚し、母と継父の間に出生した妹と弟らとともに成長した。
清津市の古茂山セメント託児所や、古茂山セメント幼稚園、古茂山入民学校、古茂山女子高等中学校に通っていたが、家族が転居することになった。89年6月まで南郷高等中学校に通ったが、中退した。
ウオン被告は最優等表彰をよく受けており、古茂山女子高等中学校4学年のときには勉強をよくやり、学校に貢献もした生徒に贈られる「二重栄誉赤旗勲章」も授与された。
出身成分(身分)と学業成績が優秀で89年6月ごろ、社会主義労働青年同盟(=社労青、後に金日成社会主義青年同盟と改称)中央委員会の崔龍海委員長に選抜された。
昼は書記として勤務しながら、午後4時から8時までは、全国から選抜された9人の同期と社労青幹部、突撃隊大隊長ら約18人と一緒に、工作員養成機関「金星政治軍事大学」(後に「金正日政治軍事大学」に改称)で、「金日成革命歴史」や「金正日革命歴史」、国語、数学、政治学学習などの突撃隊幹部教育を履修した。
毒針まき、手裏剣投げ、射撃…
ウオン被告は89年10月中旬ごろ、平壌市牡丹峰区域チョンスン洞にある、工作員養成所である特殊部隊に入隊した。
1週間の新入生教育。午前6時に起床、洗面し布団の整理をした後、朝食をとり、午前7時ごろから軍事新聞を読むなど休憩し、午前8時から午後6時まで、部隊原則を暗証して、訓練で守らなければならない注意事項を小隊長の安イルスから受けた。
同年11月ごろ、新入生検閲を済ました後、3中隊2小隊に配属され、大隊長や保衛部政治部長、参謀長の前で、朝鮮労働党予備党員申請書を作成、提出した。
特殊部隊では92年2月ごろまで泰拳道、毒針まき、手裏剣投げ、槍投げ、山岳訓練、射撃(38口径の拳銃)、克己訓練(冬に凍った水で長時間耐えたり、海水に浸かり長時間耐える訓練)を受けた。
1カ月に1度、午前10時から12時まで、講堂で全隊員が集まる中、生活総括をしながら、小隊長がその日の朝に指定した教育生が前に出て、訓練中の間違った部分に対する自己批判を行った。
毎週土曜日には、中隊長が参席する中、中隊長の事務室で、小隊員全員が自己批判などにより生活総括を行った。
ウオン被告は91年ごろ、特殊部隊で工作員訓練を受ける過程で、北朝鮮に渡った韓国軍人(当時20代後半)から1対1で、韓国の地理、略図、韓国の言葉などについての教育を受けた。
けがで除隊…盗みで逮捕、転落の人生
92年2月ごろ、ウオン被告は訓練中に頭を負傷し、入院した。
治療を受けていたその年の6月ごろ、大隊長と氏名不詳の男の前で、特殊部隊訓事項に対する「秘密厳守宣誓文」を作成、提出した。
退院した後、社労青中央委員会に行き、組織部副部長と課長に会い、「部隊訓練中にけがしたことは言わずに、ただ社労青で勤務していて怪我したことにする」という趣旨で誓約書を作成、92年7月に部隊を除隊した。
ウオン被告は特殊部隊を除隊した後、当時の平壌市楽園百貨店の倉庫長と共謀し、百貨店の倉庫にある菓子や砂糖、布などを密かに盗み出し、故郷の清津市に持って行き、訪朝した在日同胞に売ったり、平壌でドルを買って清津で売る仕事をしていた。この「ドル売り」が当局の目に付き、93年3月、清津市シンアム区域にある天馬山ホテルで私服を着た安全員(警察官)に逮捕された。
ウオン被告は取り調べを受ける過程で、平壌市楽園百貨店の品物を密かに盗み出して売った事実も明らかになり、一緒に裁判を受け、清津市新岩区域の裁判所で、国家財産貪汚罪で6年刑を宣告された。平南价川第1教化所に収容され、服役中の95年5月ごろ、金正日総書記の特赦で刑期を免除され出所した。
生活苦で盗み…取り締まりにおびえ中国に脱出
96年12月末、清津化学繊維工場の社労青副委員長であった友人が、生活苦を訴えてきた。
「亜鉛や銅を売れば、金になるんだって。工場にある亜鉛をちょっと持ち出して売ればいい。私のおじさんが長者山貿易をやっているが、亜鉛を買ってくれるので、そこに売ればいい」
友人はこれに同意し、工場保衛隊にたばこと酒を渡して、亜鉛を持ち出すことに目をつぶってくれと頼みこんだ。ウオン被告と友人は、亜鉛をトラックに積んで道路に出たところ、「クルパ」(合同取り締まり班)に摘発された。
ウオン被告は逃走し、親戚の叔父である、清津市水南区域の政治部長の家に行き、助けを求めたが、帰宅したところを安全部に逮捕された。
叔父の助けで釈放されたが、何日か後になって、再び他のクルパが家を訪ねて来て、怖さのあまり、茂山に住む姉の家へ行った。茂山で知り合った男の助けで、96年12月30日、中国に脱出した。
結婚、逃亡…再び北へ
だが、中国での住まいはなく、結婚しなければならないと考え、紹介された中国の朝鮮族の男性と結婚することになり、97年1月5日から、黒竜江省イソン市の男性の家で家族たちと一緒に生活を始めた。
ところが、夫は気性が荒く、間もなく結婚生活に耐えられなくなる。
97年10月、家出し、アソン市のチンチョン食堂で従業員として1カ月半ほど働いたが、北朝鮮に戻ることを決意し、中国下龍市に行き、病院で夫との間にできた胎児を中絶した。
98年1月、中朝国境を流れる豆満江を越えて、北朝鮮安州にいる叔父(当時死亡)の家に行き、叔母やいとこたちと暮らし始めた。
ウオン被告は自らの「亜鉛事件」がその後どうなっているのか、まだわが身が危険にさらされているのかを調べようとした。
98年10月、清津にいる母の実家の親戚で、清津市スナム区域の安全部政治部長の家に行って生活していた12月末、政治部長がウオン被告を自分の事務室に呼ぶので、行って見ると、そこには保衛部の軍服を着た2人がいた。
「今からこの人たちが、お前を管理する。この人達が指示することをしろ」
政治部長はそう言った。そのうちの一人が挨拶した。
「正花同志ですね、われわれは保衛部招募所から来ました」
2人は「何日かたったら招募所で会うでしょう」といって、その場を去っていった。
「中国にいる反逆者を捕まえる」
約3週間後、保衛部職員が乗ってきた乗用車に乗って、清津市清岩区域にある咸鏡北道の道保衛部に行った。そこで会った咸鏡北道の道保衛部政治部長からこう言われた。
「同志、これから新入生教育を受け、中国の延吉に派遣されることになるが、今後行う仕事は、両親にも秘密であり、誰にも口外してはならない」
宣誓文を書き、「延吉に行き、中国にいる反逆者を把握して捕まえ、祖国の情報を収集する韓国人を把握して外貨稼ぎをしなければならない」という指示を受け、新岩区域の保衛部アジトにおいて、中国で活動する際の注意事項について1対1で教育を受けた。
その後、成鏡北道の道保衛部反探処長から「一生懸命やれ。また会う日があるだろう」という激励を受け、98年12月31日、工作金500ドルを受けとり、保衛部所属の工作員となり、豆満江を渡って、中国に入っていった。
원정화(元正花, 1974년 1월 29일 ~ )는 북한 여간첩이다.북한 함경북도 청진시에서 태어났다. 1988년 함북 부령군 고무산여자고등중학교 4학년 때는 학업성적이 우수하여 '이중영예 붉은기 휘장'을 받기도 했다. 15세 때 김일성사회주의청년동맹(사로청)에 의해 발탁돼 공작원 양성학교인 금성정치군사대학(현 김정일정치군사대학)에서 교육을 받다가, 1992년 머리 부상으로 소속 특수부대에서 의병제대했다.
1998년 국가안전보위부에 포섭돼 간첩활동을 시작했다.
일본에서 귀국 직후인 2008년 7월 15일에 대한민국의 군경합동 사법당국에 국가보안법 위반으로 체포되었다. 이와 동시에, 계부 김동순과 한국군내의 협력자들도 체포되었다. 그리고 원정화는 모 부대 정훈장교 황 모 대위와 내연의 관계를 유지하며 황 대위로부터 군사기밀을 빼냈다. 황 대위는 원정화가 황대위보다 7살이나 연상인 데다가 간첩인 것을 알면서도 내연관계를 유지했다. 결국 이 사건으로 황 대위는 파면으로 인한 불명예 퇴역과 동시에 구속 수감되었다.
그녀는 수원지방법원에서 열린 제1심 재판에서 전향서를 제출하면서, 간첩활동을 한 것에 대해 후회를 한다고 적었다.대한민국 수원지방법원은 원정화에게 검찰 구형과 동일한 징역 5년을 선고했다.
다만 함께 기소된 원정화의 계부 김동순은 간첩으로 인정할 만한 증거가 없다며 법원으로부터 1심(2009년 2월), 2심(2010년 7월) 모두 무죄를 선고받았다
한편 북한측은 2010년 4월 조선중앙방송을 통해 원정화 사건을 남측의 날조극이라고 주장한 바 있으며, 이보다 앞선 2008년 9월 조평통(祖平統) 담화를 통해서도 비슷한 주장을 한 바 있다. 특히 조평통 담화는 원정화를 '범죄자', '인간추물'이라 원색적으로 비난하였다.
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